1920-03-05 1920年(大正9年)東京帝國大學工學部英譯 [1] 人口過多なる國に在つては商工業は立國の大本となるものにして白耳義の如き英國の如き其例となすべく以て我國の前途を卜することを得ん乎。[2] 僕は在倫敦の代理人からヒドイ目にあつた。これも實は僕が惡いのだ、餘りあの男を信じ過ぎて居たからね。