[別館]球面倶楽部零八式markIISR

東大入試数学中心。解説なので解答としては不十分。出題年度で並ぶようにしている。大人の解法やうまい解法は極めて主観的に決めている。

東大数学進捗(旧制)

1951年(昭和26年) 旧制高校卒業者のための文部省による全国統一新制大学編入試験が1月に行なわれた

理學部 工學部 醫學部醫 醫學部薬 農學部 備考
1950年(昭和25年)旧制 未入手 未入手 未入手 未入手 未入手 1950年3月に旧制高校廃止されたので旧制大学最後の入試、東大で旧制の入試があったか不明(旧帝大のうち6大学が2回試験を行ったという記述はあるが)
1949年(昭和24年)旧制(全) (全) 問題 問題 問題 旧制の入学式は4月12日
1948年(昭和23年)(全) (全) (全)(全) (全) 高級知能検査は「進学適性検査(進適)」に名称変更
1947年(昭和22年)(全) (全) (全)(全) (全) 文部省が大学進学希望者に「高級知能検査」を実施,4月入学,10月から東京大学に名称変更
1946年(昭和21年) (全) 第一(全)
第二
(全)(全) (全) 春入学、現役受験生なし、女子入学許可(19名)
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理學部 工學部 醫學部醫 農學部 備考
1945年(昭和20年) 無試験 無試験 無試験 無試験 調査書を用いて入学者を決定
1944年(昭和19年) 無試験 無試験 無試験 無試験 調査書を用いて入学者を決定
1943年(昭和18年) (全) (全) (全) (全) 秋入学で8月に実施、定員:理學部147,工學部838,醫學部165,農學部240
1942年(昭和17年)秋 (全) (解除力学) (全) (全)
1942年(昭和17年)春 (全) (解除力学) (全) (全) 4月に第二工學部を千葉市に設置、第一か第二は合格後に振り分け
1941年(昭和16年) (全) (解除力学) (全) (全)
理學部 工學部 醫學部醫 農學部 備考
1940年(昭和15年) (全) (解除力学) (全) (全)
1939年(昭和14年) (全) (解除力学) (全) (全)
1938年(昭和13年) (全) (解除力学) (全) (全)
1937年(昭和12年) (全) (解除力学) (全) (全) 12月に農學部附屬農業教員養成所が独立して東京農業教育専門學校(現筑波大)に
1936年(昭和11年) (全) 教員養成(全)
1935年(昭和10年)(全) (解除力学) (全) (全) 4月に農學部實科が独立して府中に移転し東京高等農林學校(現東京農工大)となる
1934年(昭和9年)(全) (解除力学) (全) (全)
實科
1933年(昭和8年)(全) (解除力学) (全) (全)
教員養成
1932年(昭和7年) (全) (解除力学) (全) (全) 定員:理學部116(数学15),工學部324,醫學科130,藥學科35,農學部215
1931年(昭和6年) (全) (解除力学) (全) (全)
理學部 工學部 醫學部醫 農學部 備考
1930年(昭和5年)
1929年(昭和4年) (全) (解除力学) (全)
1928年(昭和3年)
1927年(昭和2年)
1926年(大正15年) 一次、地理、地震 農業経済
1925年(大正14年) 物化(全) (解除力学) (全) 農芸化学(全)
1924年(大正13年) 物化(全) (解除力学) (全) 二次(全)
1923年(大正12年) (全) (解除力学) (全) 資料無
1922年(大正11年)(全) (解除力学) 數學無 資料無
1921年(大正10年) 資料無
理學部 工學部 醫學部醫 農學部 備考
1920年(大正9年) 數學無 資料無
1919年(大正8年) 無試験 數學無 資料無 2月に●科大學が●學部に。法科大學から経済学科、商業学科が分離して経済學部に
理科大 工科大學 醫科大學 農科大學 備考
1918年(大正7年) 無試験 數學無 無試験 資料無
1917年(大正6年) 無試験 數學無 無試験 資料無
1916年(大正5年) 無試験 代數學
1915年(大正4年) 無試験 資料無
1914年(大正3年) 無試験 資料無
1913年(大正2年) 無試験 實科 教員養成
1912年(明治45年) 無試験 問(解全) 無試験 實科
1911年(明治44年) 無試験 問(解全) 無試験 實科
理科大 工科大學 醫科大學 農科大學 備考
1910年(明治43年) 無試験 問(解全) 無試験 實科
1909年(明治42年) 無試験 問(解全) 無試験 實科
1908年(明治41年) 無試験 問(解全) 無試験 實科
1907年(明治40年) 無試験 問(解全) 無試験 實科 (全)
1906年(明治39年) 無試験 問(解全) 無試験 實科
1905年(明治38年) 資料無 資料無 資料無 實科
1904年(明治37年) 資料無 資料無 資料無 實科
1903年(明治36年) 資料無 資料無 資料無 實科 (全)
1902年(明治35年) 資料無 資料無 資料無 實科
1901年(明治34年) 資料無 資料無 資料無 實科
理科大 工科大學 醫科大學 農科大學 備考
1900年(明治33年) 資料無 資料無 資料無 實科
1899年(明治32年) 資料無 資料無 資料無 資料無 4月農科大學農業教員養成所が開設
1898年(明治31年) 資料無 資料無 資料無 資料無 5月農科大學乙科を廃止し實科を設置
1897年(明治30年) 資料無 資料無 資料無 乙科 6月、京都帝国大學の設置により、帝国大學は東京帝国大學に
1896年(明治29年) 資料無 資料無 資料無 乙科
1895年(明治28年) 資料無 資料無 資料無 乙科
1894年(明治27年) 資料無 資料無 資料無 資料無
1893年(明治26年) 資料無 資料無 資料無 資料無
1892年(明治25年) 資料無 資料無 資料無 資料無
1891年(明治24年) 簡易科(解全) 資料無 資料無 乙科
1890年(明治23年) 資料無 資料無 資料無 別科 5月東京農林學校別科を乙科に改称.6月11日東京農林學校は帝国大學に合併し、帝国大學農科大學(第一農學科、第二農學科、林學科、獣醫學科、乙科)に
理科大 工科大學 醫科大學 東京農林學校 備考
1889年(明治22年) 簡易科講習科(解全) 資料なし 資料なし 豫備科 9月に東京農林學校簡易科を別科に改称
1888年(明治21年) 資料なし 問(解全) 資料なし 簡易科獸醫學科
1887年(明治20年) 資料なし 資料なし 資料なし 二月臨時 六月 九月(全) 1886年7月、駒場農學校は東京山林學校と合併し東京農林學校に
理科大 工科大學 醫科大學 駒場農學校 備考
1886年(明治19年) 資料なし 資料なし 資料なし 資料なし 3月帝國大學に改称、工部大學校を吸収、分科大學制に。豫備門は第一高等中學校(旧制第一高等學校)に、駒場農學校は農商務省の管轄に

1886年(明治18年)3月、東京大學法政學部は「帝國大學法科大學」に改組、東京大學工藝學部は工部大學校を吸収して「帝國大學工科大學」に改組

1885年(明治18年)12月、理学部から分離独立して「工藝學部」設立

1885年(明治18年)12月、文學部から政治學科、理財學科目を法學部に移して法學部が法政學部に改称

1885年(明治18年)9月、東京法學校は東京大學法學部仏法科に移管

1884年(明治17年)12月、司法省法學校は文部省に移管され「東京法學校」へ改称

理學部 工部大學校 醫學部 駒場農學校 東京山林學校 豫備門 醫學部別課 備考
1885年(明治18年) 資料なし 資料なし 資料なし 資料なし 資料なし 資料なし 資料なし
1884年(明治17年) 資料なし 資料なし 資料なし 資料なし 資料なし 資料なし 資料なし
1883年(明治16年) 資料なし 未入手 資料なし 筭術 代數 筭術 全、二次募集 工部大學校は算術、幾何初歩、代数初歩だが資料欠損

1882年12月、東京山林學校設置(農商務省山林局樹木試験場内)

理學部 工部大學校 醫學部 駒場農學校 備考
1882年(明治15年) 資料なし 資料なし 資料なし 資料なし 5月に農學校は駒場農學校に改称
理學部 工部大學校 醫學部 農學校 備考
1881年(明治14年) 資料なし 資料なし 資料なし 資料なし
1880年(明治13年) 資料なし 資料なし 資料なし 資料なし
1879年(明治12年) 資料なし 資料なし 資料なし 資料なし
1878年(明治11年) 資料なし 資料なし 資料なし 資料なし
1877年(明治10年) 資料なし 資料なし 資料なし 資料なし 4月に東京大學開校、10月に農事修學場は農學校に改称(Wikipedia だとこの時点で駒場農學校となっている)

1877年(明治10年)4月、東京開成学校(法理文)と東京医学校が合併し東京大学(法理文医)となり、東京医学校は東京大学医学部に。東京開成学校の予科は東京英語学校と合併し東京大學豫備門に。

東京開成學校 工部大學校 東京醫學校 農事修学場 備考
1876年(明治9年) 資料なし 資料なし 資料なし 未入手 東京大學開校前

1876年(明治9年)10月9日〜11日の三日間で農事修學場入学試験実施。学科試験は、国文読書(日本外史)、英語、究理学(物理学)初歩、算術、地理学、博物学大意、化学大意(東大農學部のページから)。農學20名、獣醫學30名。

1875年(明治8年)10月 農事修學場所が駒場野に移転

1875年(明治8年)5月、司法省明法寮は「司法省法學校」に改称

1874年(明治7年)5月、開成學校は「東京開成學校」に、第一大學區醫學校は「東京醫學校」に改称

1874年(明治7年)4月 農事修學場が内務省勧業寮内藤新宿出張所に設置

1873年11月、工部省により工部大學校設置

1873年(明治6年)11月4日、開成學校の語学課程は東京外国語學校として独立.

1873年(明治6年)4月10日、第一大學區第一番中學校専門學校に転化され「(第一大學區)開成學校」と改称

1872年9月5日(旧暦明治5年8月3日)、学制により南校は中學校として「第一大學區第一番中學校」、東校は専門學校として「第一大學區醫學校」と改称

1871年(明治4年)9月、司法省明法寮設立

1871年9月2日(旧暦明治4年7月18日)、文部省設置に伴い「大學」は廃止され,大學南校は「南校」、大學東校は「東校」と改称

1870年8月8日(旧暦明治3年7月12日)、大學本校は閉鎖,大學南校、大學東校は独立

1870年1月18日(旧暦明治2年12月17日)、大學校は「大學」と改称され,昌平學校は「大學本校」、開成學校は「大學南校」、醫學校は「大學東校」と改称された.

1869年8月15日(旧暦明治2年7月8日)、昌平學校、開成學校、醫學校を統合して「大學校」を設立。
昌平學校は「本校」、開成學校と醫學校は「分局」とされた。

1869年(明治2年)2月、大病院は「醫學校(兼病院)」と改称

1868年10月27日(旧暦明治元年9月12日)、開成所が明治政府に接収後、「開成學校」として再興

1869年(明治元年)7月、醫學所は軍事病院とともに「大病院」と改称

1863年10月11日(旧暦文久3年8月29日)、洋書調所を「開成所」と改称

1863年(文久3年)2月、西洋醫學所は「醫學所」と改称

1862年6月15日(旧暦文久2年5月18日)、蕃書調所を「洋書調所」と改称

1861年(文久元年)10月、種痘所は「西洋醫學所」に改称

1860年(万延元年)10月、種痘館は幕府に接収され官立の「種痘所」になる

1858年(安政5年)5月、種痘館(お玉が池種痘所)設立

1856年3月17日(安政3年2月11日)、洋學所を「蕃書調所」と改称

1855年(安政2年)、洋學所設置